会社沿革

昭和26年4月資本金30万円を以て中央区銀座8丁目3番地に株式会社三誠商會を設立し珪素鋼板の販売を開始する。
昭和28年7月資本金70万円を増資し、資本金100万円となる。
昭和29年1月本社を中央区銀座より港区山元町に移し、倉併設在庫して即納体制を整える。
昭和32年10月港区麻布十番2丁目19番地に本社用地を取得し本社ビルの建築を開始する。
昭和33年3月資本金300万円を増資し、資本金400万円となる。
昭和33年4月工場棟完成後、スリッター1号機を新設し、珪素鋼帯の加工事業を開始、加工販売を始める。
昭和33年10月本社ビル(鉄筋コンクリート3階建)倉庫、事務所、社員宿舎の完成と同時に本社も移す。
昭和36年3月資本金500万円を増資し、資本金900万円となる。
昭和38年8月隣接地(162.11㎡)を買収し1階倉庫、2階社員宿舎を新築し、旧倉庫は工場としスリッターを増設し加工能力及び在庫能力の増大を図る。
昭和38年8月資本金900万円を増資し、資本金1800万円とする。
昭和39年9月珪素鋼板の需要増大に処するためスリッター4号機(新式巻取内径508㎜)増設する。
昭和42年5月千葉県市川市に市川工場を開設、スリッター5号機を新設しスリッター賃加工の事業をはじめる。
昭和42年12月市川工場を富士製鐵株式会社(現新日鐵住金株式会社)及び三井物産株式会社の資本参加を得て富士製鐵株式会社の委託指定工場、富士電磁鋼センター株式会社として分離する。
昭和44年9月千葉県浦安市鉄鋼通り1丁目2番8号(敷地4000㎡ 建物3300㎡)に系列子会社、関東電気鋼株式会社を設立し、スリッター、シャーリング及びプレス加工業務を開設する。
昭和45年4月資本金1200万円を増資し資本金3000万円とする。
昭和46年4月関東電気鋼株式会社よりスリッター加工部門を分離し、新型スリッター6号機を新設し株式会社三誠商會浦安工場として発足する。
昭和47年11月電磁鋼板の需要増に対して新鋭スリッター7号機を増設し月間加工能力2000屯を確保する。
昭和53年4月浦安工場敷地内に鉄骨造2階建(234.40㎡)を新築し本社業務を港区麻布十番より浦安市鉄鋼通り1丁目2番7号に移転する。
昭和54年11月関東電気鋼株式会社は125屯高速プレス(アイダ製)を新設する。
昭和54年12月千葉県企業庁より浦安第2鉄鋼団地内に工場用地(5,589㎡)を取得する。
昭和55年2月麻布本社跡地に鉄筋コンクリート7階建マンション(1,508㎡)を新築し賃貸住宅及び賃貸店舗の事業を始める。
昭和57年4月浦安第2鉄鋼団地に工場、事務所(4,040㎡)を新築し、富士電磁鋼センターに賃貸する。
昭和57年10月加工部門(浦安工場)を富士電機鋼センター株式会社に吸収し、本社業務を浦安第2団地(浦安市港57番)に移転する。
昭和59年6月関東電気鋼株式会社で焼屯炉新設のため、建物鉄骨造スレート葺平屋建95.4㎡増築しバッチ式電気炉を設備しそれに伴い、変電設備も500KVAに増設する。
昭和61年4月酸化鉄及びフェライトマグネット用磁性粉の販売を開始する。
昭和63年5月創業者の出口兼太郎は代表取締役を退き、代表取締役社長に出口誠之が就任する。
平成元年2月関東電気鋼株式会社で鉄骨造鉄板葺2階建(1階工作室、2階事務所)増築する。
平成元年5月創業者の出口兼太郎逝去する。
平成6年10月関東電気鋼株式会社の遊休機械、スリッタープレス、金型焼屯設備を現物出資として、中国天津市に、天津達成電器有限公司を現地郷鎮企業及び日本国貿易商社、進和株式会社の3社で合弁して設立する。
平成9年7月株式会社三誠商會と関東電気鋼株式会社が合併し関東電気鋼株式会社が解散する。
平成9年7月浦安市鉄鋼通りに鉄骨造3階建(347.8㎡)を新築し本社業務を移す。
平成15年3月中国天津市に、天津三誠鉄鋼製品有限公司を現地企業及び日鐵商事株式会社等と合弁して設立する。
平成17年4月ボトルウォーター(クリクラ)の製造販売を開始する。
平成23年6月代表取締役会長に出口誠之が、代表取締役社長に出口忠誠がそれぞれ就任する。
平成27年1月株式会社ホンダ商店(東京都墨田区)の株式を100%取得し子会社とする。
平成27年7月代表取締役出口忠誠の100%出資にて株式会社三誠ホールディングスを設立。
平成27年10月株式会社ホンダ商店の本社を東京都墨田区から千葉県浦安市に移転する。
平成28年5月出口誠之が代表取締役会長を退任する。
平成28年8月所有不動産すべてを株式会社三誠ホールディングスに売却。